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織田 真希

私は現在4才の美愛と1才の恵真の子育てをしています。
まだ子育て歴4年と短いですが、この4年で神様から教えられたことをお分かちできればと思います。

私の子育ては、長女の美愛が遺伝子の突然変異による障がいをもって産まれてきたため、少しユニークです。
妊娠時、出産時は障がいがわからなかったのですが、1ヵ月検診で心音の異常が見つかり、
3ヵ月検診では明らかに他の子より成長が遅いことに、なにかこの子は普通と違うとショックを受けました。
1才の頃、遺伝子診断をうけて正式な診断名がつくまでは、できるだけ健常であってほしいと祈っては期待が次々に裏切られ、私も家族も大きく傷つきました。
また摂食障害、睡眠障害があるため、授乳のストレス、寝不足による体力的・精神的疲れにより夫婦げんかも増えました。
この時、自分の努力やがんばりでどうしようもない、自分のコントロールが効かない子育てにイライラ、がっかりし、
同時に我が子が次々と困難に遭う姿に神様への不信と怒りから産後うつも発症しました。

妊娠中、教会の友人とテキストを使って学ぶ時を持っていて、下記の聖書の言葉に、
神様が既におなかにいる我が子に計画をもっておられるのだとわくわくしました。

「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」
(詩編139:13-16)

美愛に障がいがあるとわかったとき、最初は神様が失敗したのか、なにか私たちが悪いことをした罰なのかと現状を受け入れることができませんでした。
でも徐々に時間をかけて神様が私たちの心を癒やしてくれ、現在は障がいがあるのも神様の計画であり、
美愛が美愛にしかできない形で、神様の栄光を現していき、私たちは神様に委ねればいいのだと安心しています。
子供は神様からの贈り物であり、神様の作品であり、神様はすべての子供に目的をもって造られました。
この世には誰一人、目的なしに生まれてきた人、生まれてきたことに意味がない人はいないと、この御言葉から励まされます。

子育ては、自分の願うようには進んでいきません。
子供が、親の望む道に進まなかったり、思わぬ困難にあうこともあります。
でもだからこそ、神様は私たちを親に選ばれたのだと思います。
子育てを通して、弱い自分、自分のコントロールできない出来事に直面することで謙虚さを学び、
子供は自分の理解を超えた神様の計画があることを受け入れて、子供の人生を神様に委ねていく。
子育てを通して親も同時に成長していくので、最初から完璧な親である必要はなく、日々子供と共に成長すれば良いのだと励まされます。

子育てはキリスト教の救いの原則と似ていると思います。キリスト教の救いとは、私たち人間が努力して良い人間になったから救ってあげようとか、
ここまでできるようになったら救ってあげようというような救いではありません。

弱いから、不完全だからこそ、イエス様の十字架の救い、神様の助けが必要と認めることが救いの原点です。
同じように、親になることも完全さは求められておらず、あえて不完全な人間を大事な子どもの親として選び、
子育てを通して親が自分の弱さや限界を知り、へりくだって神様に向き合っていくことを望まれているように思います。

現在、私はフルタイムの仕事に復帰して、美愛と恵真は保育園のお世話になっています。
まだ美愛の睡眠障がいがあり、リハビリや通院も定期的にあるため、時間的、体力的なチャレンジはあるものの、
夫や社会の協力を得て、今の生活が成り立っています。
美愛も恵真は保育園などを通して新しいお友達やいろんな体験をさせてもらっており、
保育園の帰り道にはニコニコ楽しそうにその日の報告をしてくれます。

この4年間の子育ての中で、私は本当に多くの方に支えられました。
家族を始め、病院やリハビリの先生、地域の保健師さん、保育園の先生、教会の皆様、友人等々、
たくさんの助けを受けてきたことに本当に感謝しています。
子育ては自分だけでするものでない、信仰の成熟に教会の交わりが必要なように、子育ての成熟にも周りの助け、
祈りが必要不可欠だなと思っています。

現在教会では、教会学校内で未就学児を対象としたベビーキッズクラスがあります。
その中で子供のプログラムが終わったあと、お母さんたちが集まりその週の祈祷課題を出し合って子供を見ながら互いに祈りあっています。
また第一日曜日の午後に行われるMom’s in Prayerでは聖書が子供についてどんな約束をしてくれているかに焦点をあてて、神様にゆだねて祈りあっています。
忙しく時間がとりにくいお母さんだからこそ、互いに祈りあい、神様に心を静めることが必要だなと感じます。
願わくば、地域のお母さんたちも気軽にこれらの集まりに参加していただき、祈りの力を体験してもらいたいなと願っています。

 

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